幸福感

日常的な幸福感

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このブログは幸福について探求する
のが目的の一つなので、今回はシンプルに
幸福について考えたいと思います。

皆さんは、日常生活の中でどんなときに
幸福を感じますか?

・好きな事をしている時
・仕事が上手くいった時
・ご飯を食べている時
・一日が終わって解放感に浸っている時
・趣味に没頭している時

等などいろいろあると思います。

上記のような事を毎日の自分の生活に
組み込んで、自分の精神の安定を図ることは
大切な事だと思いますが、

このブログで目指すところの幸福は、
人格的成長を遂げて幸福を得ると云うものです。

つまり、

自分の霊性(霊の状態)を少しずつ高めて行き
日常生活の中で精神性を高めていく事です。

話はちょっと変わりますが、私の日常的な経験を
話したいと思います。

私は現在空調部材を製造販売している会社に
勤務しているのですが、暑い夏の盛りは繁忙期で
最近は忙しい日々を過ごしています。

私の仕事は、グラスウールダクトの梱包を
主に受け持っているのですが、最近は忙しい所に
人を取られ、以前だと3人でしている梱包作業を
2人ですることがほとんどになりました。

それで朝から晩まで、その日製造した製品の梱包作業が
ほぼ終わるまで、梱包作業に追われまくる事になりました。

ですから、仕事中は、

「これをして、あれをして、あれを出荷時間までに
終わらせないと」とか

「あ~早くこれ済ませないと」とか

一日中せわしく追われる日々なので、

焦ったり、イライラしたりして焦燥感に駆られる事が
多かったのです。

一日の中で仕事が大半の時間を占めるのですから
これでは、ちょっとおもわしくないって云うか
ダメなので、改善策を考えるなければと思いました。

こう云う状況ってある程度会社勤めをしている方は、
経験があるかと思うのですが、

こう云う時に、自分の外面を変えようとする人と
自分の内面を変えようとする人に概ね分かれると思うのです。

つまり、

外面を変えようとする人とは、

上記の私の例をだと、梱包作業する人を3人にしてくれ
るように上司に働きかけると思いますし、

内面を変えようとする人とは、

どうしたら、自分が作業に追われるようになっても
イライラしないで焦燥感に駆られないか?を考えて
改善策を施すと思います。

もちろん、二つとも必要な事ですが、
私の考えだと利己的な人ほど、外面を変えようとするだけで
自分の内面を変えようとしないようです。

私の場合で云うと、上司に梱包する人を三人は必要だと
意見しましたが、忙しい所の忙しさもある程度理解出来るので
もう会社の方針に不満を持つより、自分の内面を変える方に
趣をおく方が賢明であると考えました。

具体的な私の改善策ですが、

一つは、単純なことですが、作業に追われることになっても
なるべく心を落ち着かせ、

「まあ、焦っても仕方ないので、目の前の仕事を確実に
こなして行こう」とか

「出来るだけ楽しく出来るように工夫をしよう」とか

「一つひとつこなして行けば、せいぜい午後7時くらいには終了するし」

こんな感じで、自分の心をゆったり保つように心がけました。

上記は直接的改善策ですが、間接的改善策としては、

・食生活に気をつけて、健康状態を良くすることに努めた。
・家の中を整理整頓して落ち着くように努めた。
・聖典を毎日読んで霊性を高めるように努めた。
・日曜日は教会の集会に集い聖餐を受け続けた。

(聖餐と云うのは、イエス・キリストの贖いを記念して
行なわれる儀式の事です。)

等です。

こんな感じで、改善策を進めて行くうちに、功を奏してきて
今では以前と比べると、作業が追われる状況になっても
かなり落ち着いて仕事が出来るようになりました。

それだけでは、なく仕事以外の日常生活においても
今までだとイライラする事や、焦ってしまう事が
かなり減りました。

この経験を通して結局どんな時でも、そんなに焦っても仕方ないって事に
気が付いた事と自分の心の状態は自分で決めれて他に依存しないように
出来ると実感しました。

それに伴って、幸福感を感じる事が以前にも増して
増えたのです。

幸福を得られるがどうかは、他力本願ではなく
日々の自分自身の選択の結果の積み重ねの結果だと
思うので、それを日々改善していく事が、大切だと
思います。

多種多様な選択肢の多い激動の現代において
正しい選択を積み重ねる事が出来て幸福感が得られるように、

イエス・キリストを生活の中心におくように
お勧めします。、

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

(新約聖書マタイによる福音書 / 11章 28節1~30節)

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