幸福の本質を探求する 末日聖徒イエスキリスト教会会員のブログ

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宗教って、怖い?

かなり前のことですが、
日曜日に教会の入り口付近にいた時に
高校生か大学生かくらいの男子グループが
教会の前を通り過ぎる時に、

一人の男の子が、教会の建物に明記されている、
末日聖徒イエス・キリスト教会という教会の名前をみて、

「末日聖徒イエス・キリスト教会やて、
怖いで!怖いで!怖いで!、ポアされるで・・」

と云って仲間と騒ぎながら通り過ぎていく
ようなことがありました。

toukyou

若者が、楽しそうにワイワイ云いながら
通り過ぎていく姿を見て、私も思わず
ニヤけてしまったのですが、

冗談とはいえ第一印象が、「怖いで」だったことは、
少々残念に思った記憶があります。

(人を本当の意味で幸せにできる教会なので・・)

まあでもその時期は、オウム真理教の事件が起こって
まだ数年だった事や、統一教会の問題とかもマスコミで
取り上げられていた時期だったので、(かな?)

世間的には、「宗教」 イコール 「怖い、危ない」

というイメージが強かったのかもしれません。

まあ誰しも自分のよく知らないことや
経験がないことは、不安に感じたり、怖かったり
するのが、普通なのでしょう。

ちょっと意味合いが、違いますが、
私自身も、初めてネットでパソコンを購入する時は、
少々不安でしたし、今でも金融関係の事は、
疎いので怖いと云うイメージがあります。

(金融関係に関しては、私のような性質の場合は、
知れば知るほど怖くなるかもしれませんが・・・)

末日聖徒イエス・キリスト教会に関しては、
実際に来てもらって知ってもらえれば、
怖くない教会とほとんどの方に
感じてもらえると思います。

実際は、日曜日の定例集会以外でも、
地域によっていろんな活動が、
催されているので、

教会員以外の方々も定期的に
来られる方もいてそういう方々は、
教会の活動を楽しんで頂いているようです。

教会の定例集会以外での活動の定番といえば、

英会話、ハローウィンパーティ、クリスマス会
かと思います。

その他地域によっていろんな活動が催されているようです。
よくある活動は、
ハイキング、食事会、お料理会、コンサート、講演会等です。

来月は、教会の運営する。
アメリカブリガムヤング大学の合唱団の日本公演が
あるので、私自身も行くかどうか検討中です。

BYU2

末日聖徒イエス・キリスト教会に少しでも興味が
ある方は、教会の公式ウェブサイトより
日本全国のワード支部が検索できるので、
是非お気軽に足を運んでいただければ幸いです。

(そうはいっても、お気軽とは行かないですかね・・・)

 

(食事会の時の品々です。美味しそう!!)

syokuji

激動の時代、熊本県、大分県の大震災で思うこと

2016年4月14日に熊本県と大分県で相次いで地震発生し
16日未明の地震後、避難者は最多で18万3882人に上ったと
ネットでの情報で知りました。

本当に一日も早く被災者の方々が、
元の平穏な生活に戻れるように願うばかりですが、
私の所属する末日聖徒イエス・キリスト教会でも
ボランティアが公式ホームページで募集され、
私の知人で赴任している人がいること
facebookで知りました。

熊本地震支援 最新情報(4月26日更新)

こういう困っている人が必要としていることを、
さっと俊敏にできる人ってすごいなぁ~と思います。

(今回のような、被災地に赴いて復興の手伝いをするとか
そんな大きな事じゃなくて、日常的な小さなことでも・・・)

jisin

私の所属している教会の正式名称は、
このブログのタイトルにある通り

「末日聖徒イエス・キリスト教会」なのですが、

この名称の「末日」ってどういうことなのか、
少し説明したいと思います。

このことは、他のキリスト教でも同じだと
思うのですが・・・・・

キリスト教では、近い将来復活された
イエス・キリストが再び地上に降臨され
この地上を治められると云われています。

そのイエス・キリストが再臨される前に
今の地球で大きな地盤変動が起こって台地が
一つとなってなだらかな平地になると
云われています。

ですから、今のような世界地図で見るような
地球は、もう長くなくつまりこの状態の
地球の日も末と云うことです。

あと何年ぐらいでそうなるかは、
私では、分かりかねるところでは、
あるのですが、個人的な見解では、
50年は行かないだろうと思っています。

そういった意味で末の日に私たちは、
この地上で生を受けて生活している訳ですが、

イエス・キリストが、末日はどんな風になるのか
どんなことが起こるのかを予言されているところが、
新約聖書に明記されているので、
少し引用したいと思います。

 
~~~~~~新約聖書マタイ24章3節~14節~~~~~~~~~

またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、
ひそかにみもとにきて言った、

「どうぞお話しください。
いつ、そんなことが起るのでしょうか。
あなたがまたおいでになる時や、
世の終りには、どんな前兆がありますか」。

そこでイエスは答えて言われた、

「人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、
自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。

また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。
注意していなさい、あわててはいけない。
それは起らねばならないが、まだ終りではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。

しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、
また殺すであろう。またあなたがたは、
わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。

そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

そしてこの御国(みくに)の福音は、
すべての民に対してあかしをするために、
全世界に宣(の)べ伝えられるであろう。
そしてそれから最後が来るのである。

~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~

末日の現代においてどんな事が起こるかを
上記の引用から要約して箇条書きにすると

○偽キリストが現れる
○戦争と戦争のうわさとを聞く
○国は国に敵対する
○ききんが起り、地震がある
○多くの人の愛が冷える

というようなことですね。

まさに私たちが、日々日常生活の中で
見聞きしていることだと思います。

今回のような熊本県、大分県の大震災を
目の当たりにするとさらにそう思わずには、
いられないという感じです。

末日聖徒イエス・キリスト教会では、
こういった災害に対しての
対応システムっていうのが、
上層部ではシステム化されているようですし、
地方でも緊急時の対応マニュアルを
作成しておくように指導されています。

 
末日聖徒イエス・キリスト教会では、
教会の戒めを守って日々霊的(精神的)
な向上を図ることは、大切な事ですが、

各教会員、各家族、個人レベルでも
緊急時の物資を普段から蓄えておくように
教えられていて

食糧貯蔵や緊急時の避難キット等は
私が知る限り30年くらい前から
しっかり備えておくように云われています。

こういった面は、非常に現実的な教会だと
思います。

このような激動の時代で生活している
私たちですが、結局は、霊性的にも物質的にも
自分のできるだけの備えをして日々を送り

万一の時に自分の人生が閉じてしまうことが
起こったとしても悔いない人生であったと
その時思えるように毎日生活することが
できればと思っています。

最後に教会ホームページ等で提供されている
家庭貯蔵の資料等のリンク張っておきますので、
ご参考になれば幸いです。

すべての必要なものを:用意しなさい

すべての必要なものを用意しなさい(財政管理、家庭貯蔵)

家庭における 生産と貯蔵の 基本

真の自由と束縛

先日教会の催しで、富田林市の農業公園
「サバーファーム」というところへ行く機会がありました。
主にブドウ園やイチゴハウス、サツマイモ畑があり、
ブドウやイチゴは、収穫してすぐ食べれるのが
嬉しいところです。

東京だとどこへ行けども行けども、
ビル、ビル、ビルと云う感じで、

まさにコンクリートジャングルと云う感じですが、

大阪だとちょっと車を走らせて郊外に赴けば、
自然豊かな田舎の風景と云う感じのところへ
足を運ぶことが出来るので、
なんだか少しホットした気持ちになります。

やっぱり神様の創造された自然に接するときに
精神的な癒しを得ることが出来るのかもしれません。

そんな自然に囲まれて、昼食は野外でバーベキュー
それからいちご狩りでイチゴを頂き、
温室植物園で熱帯地域の
植物を観賞して天候にも恵まれたこともあり
気持ち晴れやかな一日を過ごすことが出来ました。

そんな私の穏やかな休日はさておき、富田林市と云えば、
野球好きの方が連想するのは、PL学園だと思います。

tonda

近鉄富田林市駅からサバーファームまで、専用の送迎バスが
出ているのですが、私は教会員の車で駅からサバーファームまで
送迎してもらったのですが、途中PL教団の塔があり、

自然にPL学園の事も思い浮かび、送迎途中の車の中で、
PL学園の野球部が、廃部になったことは残念という話題も
出たりしました。

それとPL学園と云えば、今世間を騒がしている、
清原和博氏が、思い浮かびます。

私は結構野球好きで、清原氏はPL学園時代の「K,K」コンビで
甲子園で大活躍している時代からリアルタイムでずっと見てきたので、
今回の清原氏の覚せい剤事件は、残念でなりません。

しかし一般庶民から見ると、清原氏なんかは、
社会的な地位と名誉、経済的な豊かさ、
カリスマモデルの伴侶と二人の子息と

(2014年離婚されましたが・・・・)

誰もが羨むものを手にしていたのに
何で覚せい剤なんかに手を出して
転落人生を歩んでしまうのか?

凡人の私には、全く理解出来ないところです。

プロ野球選手を引退して、後は入れ墨など入れず、
野球解説やバラエティー番組に出演して稼ぎながら
家庭を守っていたら何不自由しない生活なのにと
思うわけです。

ただ結局自分をコントロールすることが出来ないと
いくら地位、名誉、経済的な豊かさを得ても幸せに
なれないという事なのだと思います。

私は、今年で教会員生活35年目になりますが、
会社なんかで時々教会員でない人から教会に行って
戒め(戒律)なんかあったら自由が束縛されて

何が楽しいのか?

と聞かれることがあります。

でも私は、教会の戒め(戒律)を守ることによって
真の自由を得ることが出来るとある程度
知っているつもりです。

世間一般的な自由と、教会の教えで云う
自由と定義解釈が、全然違っています。

真の自由とは何か?

ようするに、自分を律することをせず、
酒だ、タバコだ、博打だ、女だと
したい放題していると、
こういったものに縛られ束縛される
ことになります。

そういったことが長期間に及ぶほど
しだいに心(霊性)を蝕まれ
不快な気持ちに囚われることになります。

ちょっとしたことで、イライする、すぐ切れる、
がっかりして落ち込む、

周りと自分を比較して嫉妬する。

自分が上でなければ気が済まな等々、

こういう気持ちに囚われ悩みの種と
なっていませんか?

そういった良くない気持ちを除去するには、
自分を律して悪癖を改め正しい習慣に換えていく
必要があります。

つまり教会の戒めを守ることによって、
その囚われから解放されるものなのです。

まあこのことは、、レベルの違いは、
ありますが誰でも多かれ少なかれ
持っているものなので、私自身も日々改善して

真の自由、本当の幸福に近づいて
行ければと思っています。

草刈の奉仕

先日教会の活動で、
とある教会員の現在は放置状態の
庭の草刈に行ってきました。

この活動は、もう約8年くらい続いてて、
毎年初夏の6月に行われる、枚方ワードおなじみの活動に
すっかり定着したという感じなのですが、
こういった奉仕活動はどういう意味があるのかを
今回ちょっと考えてみたいと思います。

世の中には、当然ですがいろんな人がいて
様々な価値観を持った人がいます。

私の父がそうだったのですが、お金に執着の強い人も
いたりします。

父の口からたまに聞かれた言葉に

「そんなことしても一銭にもならへん」

と云うのがありました。

要するに一銭にもならないことはしたくないと
云う考え方です。

これって教会でよく言われる「無私の奉仕をしましょう」
と云う考え方の真逆であると云えます。
教会では、なぜ奉仕が推奨されるのでしょうか?

理由はいろいろあると思いますし、私も完全に
理解している訳ではないですが、理由の一つに
執着心や利己心をなくすというのが間違いなく
あると思います。

 

人間ってこの世的なものに執着があったり
利己的なところが多ければ多いほどその人自身が
苦しむことになるようです。

 

かくゆう私も日々の生活の中で、この世的な
ものに流されてしまったりして時間の使い方を間違ったり、
判断を誤ってしまって、この世的なことに

囚われて物事の優先順位がおかしくなってしまい
失敗が明らかになった時にはじめてそれに気付く
ような経験を数回したりしています。

 

こういった失敗をしないためには、
普段から自分の内面を見失わないようにして、
どういうことをしているときが、

自分の心の状態が良好なのか、
どういう考え方をしている時が自分の心が
穏やかで平安なのかをよく観察しておくことが
効果的な方法だと感じています。

 

それと、自分の周りの人に喜んでもらえたり、何かの
お役に立てたりした時に、自分の心の中に真の幸せを
蓄積できると思います。

良いことでも悪いことでも自分の周りの人にしたこととか
影響を与えたことなどは、自分自身に何らかの形で
返ってくると思われます。

 

その辺の感覚が、敏感な人もいれば、鈍感な人も
いるわけで・・・・まあ感覚が鈍感にならないと

自分の現在の置かれた環境では生きていけないという方も
おられるかと思いますので、そういう人は致し方ない
面もあるとは思いますが、感覚が鈍感な人はえてして
周囲の人を傷つけることが往々にしてあるようです。

 

周囲の人を傷つけると、自分自身も傷つくわけですが
鈍感なので、気が付かず自分の気持ちも晴れないので
それでまた周りの人に当たったりして周囲の人と
自身を傷つけることになり悪循環のループに囚われる
ことになったりします。

 

こういう場合は、段々エスカレートしてくると
大きな問題に発展したりして、本人が気付けるように
神様が取り計らってくださるみたいです。

 

ですから、結局その人本来の自然体から離れてブレてくると
そのブレが大きくなればなるほど、幸せな気持ちを損ねる
と云うことです。

 

冒頭に紹介しました、草刈の奉仕活動ですが、
その庭に八朔の樹があり毎年その実った八朔を
頂いて帰るのですが、その八朔が結構酸っぱく
とてもそのままでは食べれないという人もいれば

私のように酸っぱいもの好きで、結構美味しく食べれる
人もいたりして、人の味覚も様々だなと思ったりします。

 

私はどちらかと云うと、店頭に並んだ美味しくなるように
作られた果物もいいですが、自然でそのまんま育った
果物の方が、なんか飾りっ気がないと云うか、

本当に有りのままと云う感じがしてそんなところを
味わったりするのが、結構好きだったりします。

 

自分自身もそういった飾りっ気ないそのままの自分に
成れればと思っています。

 

中々執着の多い自分には難しい面も多々ありますが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年の目標

新年明けましておめでとうございます。
いよいよ2014年の幕があけましたが、
お正月と云えば、私の子供の頃は、
テレビを見ながらお正月の特別番組をこたつで、
見ながらお餅やみかんを食べるのが常だったのですが。

最近は、昔と比べてお正月の風景も大分変わったと
いう感じがします。

最近は、日本古来の伝統的なお正月の遊び
凧あげ、こま回し、福笑いやすごろくなんかは、
ほとんど見かけることが無くなってしまったようで・・・

そう云う日本古来の伝統的なものに触れると
何故か気持ち的にほっとするものがあるので
ほとんど見かけることが無くなり個人的には
少し寂しい感じがします。

これも何もかも合理的になってしまった
現代の時代の象徴でしょうか?

さて、一年の計は元旦にありと云われますが、
元旦に今年の目標等を決めた方もいらっしゃる
と思います。

私も大晦日に今使っているノートを見ていると
2013年のお正月に書き込んだと思われる
2013年のやりたいことリストが目に留まりました。

ですが・・・結果は・・・ほぼ全滅で(汗・・・)
一年が過ぎるのって本当に早いなぁ~と改めて思います。

さて、私の本年の目標ですが、
前回の書いた信仰生活をおくる上での三つの基本事項

1、安息日(日曜日)は教会に集い聖餐会に出席して聖餐を摂る。
2、毎日朝晩お祈りをする
3、毎日聖典を読み研究する

この三つを今までどおり継続して行い
さらに今まで以上濃密な内容に出来ればと考えています。

どの分野においても一流と云われる人は、
基本に忠実でそれを根気よく地道に継続して
おられると思うので、私も信仰生活の土台に
なっている上記の基本事項をさらに固めることが
出来きればと思っています。

更なる飛躍を遂げようとすれば、
基本的なこと、その基盤が磐石でないと
伸びしろも短くなってしまうと思うので・・

霊的(精神的)に安定してはじめて
日々の生活の中の具体的な指針がはっきり
してくると思うので、まず霊的なものを
しっかりさせたいと思っています。

後は、自分の現在の責任をよく知って
それに徹するということでしょうか。

それと結局人生の成功の鍵は自己管理能力が
どれだけのレベルになれるかだと思います。

自己管理能力を高めるには、本当の自分を知ることが
必要になって来て・・・・

なんかこれまでに書いてきたことに戻ってしまう
のですが、本当の自分を見つける事は一生涯続く
事だと思うので、年々自分自身が明確になって行けば
いいのではないかと思います。

去年本当の自分を見つけるには?
どうすればいいのか少し書きましたが、
私の私的な考えで止まっていたように
思うので、

今年は、末日聖徒の教会員がそれを
どういう風に行っているかを書いてみたいと
思っています。

このブログは末日聖徒のことを主に書くブログ
なので本当は、もっと早く書くべきだったかとも
思いますが、

霊的な事って説明するのが難しいんですね
霊的な事って目に見えないことなので
個々が感じる感性で理解する事なので、
末日聖徒の教会員同士でも霊的な感受性が
豊かな人とそうでない人がいるので
なかなか理解し合えない時もあったりします。

まあそれだけ、個々で人生の役割だとか責任が
違うし、だから人生の歩みも違ってくると
云うことになると思います。

このブログの訪問者さんも
精神的な強さを得たいとお考えなら
何か自分の心を落ち着かせるものを見つけて
毎日継続して行う事をお勧めします。

それを見つけることが出来ないっていう方は、
とりあえず聖書を一日一章読むとか
一日に一回神様にお祈りするとか
理屈は分からなくても実践すれば
実践しただけの効果は期待出来るので、
やってみる事をお勧めします。

長く続ければ、続けるほどその効果が、
現れると思うし、それが習慣になって来ると
ある日なんか最近の自分って焦らなくなったなぁ~
とか、最近腹立つことなくなったぁ~とか

自分の変化に気づく日が来ると思います。

まあとにかく2014年が始まって
お互いに今年も前向きに日々を過ごして行きましょう。

それではまた!!

 

 

教会に集い続けるためには

今年も残すところ後数分となりました。
毎年大晦日を迎えると時の流れが年々早く
感じられるので、本当に年をとるのは、
早いなぁ~と思います。

この時期には、今年はどうだったか
を振り返ってみたりして今年を回想
している方が多いかと思います。

私の集う末日聖徒イエス・キリスト教会枚方ワード
では、今年は改宗者が五人出たので、結構良い年
だったと思います。

改宗者と云うのは、イエス・キリストの
教えを受け入れてバプテスマを受け
新しく教会員になられた方のことで、
4~5年前は、年間で一人改宗するかしないか
だったのですが、2~3年前から年間数人改宗
者が出るようになり、今年は5人出たので
まあ良かったかなと思うわけで・・・・

でもこれまでのパターンだと大体5人改宗しても
続くのは5人の内一人という感じだったのですが、
これも今年は、5人中4人が、現時点では、
毎週活発に集われているし、もう一人の方も
仕事の都合で日曜日教会に集えないというだけで
気持ち的には、活発なようなのでこれもうれしい
誤算という感じで、良かったと思っています。
私は教会員になってもう32年になるのですが、
たまにですが、教会に長く集い続けるには、
どういう心がけが必要なのか聞かれることが
あります。

やっぱり数年続いても来なくなってしまう
人もいる訳で・・・・・・

教会に来なくなってしまう理由って云うのは、
いろいろある訳ですが、ある人は、仕事を
日曜日にもするようになったり、ある人は、
人間関係がこじれてしまったり、

ある人は、一般社会の世界の方が、魅力的に
映ったりと理由はは様々ですが、
本質的な原因は私的には同じだと感じています。

つまり教会員生活っていうのは、日曜日教会に
集うだけでなく、日曜日教会で学んだことを
どれだけ普段の生活で応用して実践出来ているのか
が、大切な訳で・・・

普段の生活でどれだけ教会の教えを実践して
霊の糧を得ることが出来ているかが、
その人が霊的成長の速度を決めるので、
その辺のところをしっかり固めるのが
大切だと思います。

具体的に云うと、

日々のお祈りと聖典学習ですね。
それと安息日を守ることです。

毎日お祈りをして毎日聖典を読み、

日曜日には教会に集って聖餐会に出席して
聖餐を摂るということです。

 

お祈りをする、聖典を読む、日曜日聖餐会に出席して
聖餐を摂る、自分の信仰生活を固めるためには、
この三つを地道に続けていく必要があります。

実はこれは私が改宗して間もないころに
そのころの日曜学校の基礎クラスの教師の方に
教わった事なのですが、最近また改めて

この三つの大切さを実感しました。

この三つのどれかがおろそかになると
自分自身の霊性も不安定になったりします。
教会員でなくても、精神的に不安定な要素を
持っている方は、この三つの内、一つでも
いいので、実践してみることをお勧めします。

地道に一ヶ月でも続けると、精神的に成長した
自分を発見する可能性が高いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆行現象

イエスキリストの教えの一つに
黄金律って云うのがあります。

結構有名なのでご存知の方も多いと思います。
自分にがしてほしい事を周りの人にしましょう
と云う教えなのですが、

私たちは日々生活する中で
様々な人と接するわけですが、

自分の周りの人に自分が
どういう影響を与えたかという事は、
結構大切で詰るところその影響が、
自分自身に跳ね返って来るということです

末日聖徒の信仰箇条に

「私たちは、人は自分の罪のゆえに
罰せられ」るって云うのがあるのですが、
自分の悪い行いに対してどういう罰があるのか?
と云う事は、いまいちピンと来ないと云う感じで、
イメージが湧いてこなかったのですが、

あるときとある理論を知って少しはイメージ
出来るようになったかなと思ったことがあります。

その理論とは、「逆行現象」です。
これは末日聖徒の教えではないので、
参考までに止めていてほしいのですが、

オーストリア出身の神秘思想家
ルドルフ・シュタイナーが唱えた理論で、

シュタイナーと云う人は、目に見えない
霊の世界が見えたという人で、その霊の世界を
言葉に表した著書を結構な分量残されているらしいです。

例えば、人間の身体にも目に見える部分と
見えない部分があって、目に見えない部分は、
見えないので当然その名前なんかはないわけで・・・

そういった人の身体の見えない部分に名前を
つけて文書にして残したり。

霊の世界、死後の世界を説いたりしたみたいです。

 

人生の彼方には、何が待ち受けているのだろう?

kanata1

まあ私は神秘学なんかは、門外漢なので、
半信半疑のところも多々あるのですが、

これからご紹介する「逆行現象」を始めて知った
時は、妙に感心してしまいました。
その「逆行現象」って云うのは、
どんな理論かと云うと、

人が亡くなると自分の人生をもう一回見ると
いうもので、

つまり、

死んだ瞬間から自分の人生を逆回しに
見るという事で、まあイメージとしては、
映画のフイルムをまき戻す感じでしょうか?

まあようするに自分の生涯を逆行するわけです。

それを見る速度は、自分の人生の睡眠に
費やした時間だとシュタイナーは述べています。

ちょっと分りにくいかと思うので
説明を補足しますと。

60歳で亡くなられた人の生涯は
60年ですが、その人の睡眠時間が
一日8時間とすれば、生涯の睡眠時間は、
20年という事になります。

それで亡くなった瞬間からその人の
人生を逆回しの、逆行現象に入るわけですが、
60年の人生を逆行現象では20年で
見るわけですから、約3倍速になります。

逆行現象の通過時間より重要なのは、
自分が人生の中で周りに与えた影響を
その逆行現象の時感じるという事です。

例えば、自分の生涯で若い時けんかして
相手を殴ったとします。

相手は当然痛いわけで、その痛みを
殴った方は、「逆行現象」の時に感じると
いう事です。

また、誰かに皮肉を云って、相手が
ぐっさと来て傷ついたとします。

その傷ついた気持ちを傷つけた方が
「逆行現象」の時に感じるのです。

この「逆行現象」の理論を初めて聞いたとき
なんと人生って表裏があって平等やなぁ~と
思いました。

もちろん末日聖徒の教義ではないので、
私自身100%信じているわけではないのですが、

その整然とした理論と公平さに
あながち嘘では、ないんじゃないかと
今でも思っていて・・・
このように死後の世界や前世の事を
考えて、自分の人生をこの世だけでなく、
前世や来世を考える事により、
自分の人生をスパンを長く見れるようになると、
人生観とか価値観が変わって

パラダイム転換が起こることがあります。

視野が広がるという事や、
パラダイム転換って云うのは、

人が人格的な成長を遂げようとする時
不可欠なものなので・・・・

結構大切な事だと思います。

まあ、「逆行現象」が真実かどうか私には、
分りかねますが、自分の行いや言葉使い
が周囲に与えた影響は結局自分に返って
来るという事は、日々実感しているので、

自分がしてほしい事、周りの人たちにするって
云う黄金律は、日々実践出来る様に努めて
行きたいと思っています。

「逆行現象」で困らないためにもね。

 

 

 

 

 

本当の自分を見い出す方法

前回は、社蓄脱出方法として
本当の自分を見つけ出すという事で
解決できるとまあ一応結論を提示した
訳ですが、

まあすごく抽象的な無難な一般論なので、
このブログを読んで頂いている方の中には
釈然としなかった方も多数おられるかと
思いますが、まあ書いている本人も

釈然としないって云うか、

そしたら

「本当の自分をどうやって見つけるのか」

という事になるので・・・・

まあこれも一朝一夕には行かないので

・毎日日記を付けて内省する

とか

・日々自分の心の状態を観察して自分が
何をしている時が心落ち着くかを考える

とか、

こういったい地道な日々の積み重ねが
必要になって来る訳で・・・・

まあこれらが、王道なのは、
永遠普遍の真理だとは思いますが、

もうちょっと即効性と云うか
具体的で分りやすく効果が見て取れる
方法はないか考えたりするのですが、

まあ楽して早く成果を出したいって云う
気持ちが自分の心の中に生じてくると
危ない前兆だと注意した方がいいですが、

そういう気持ちが生じて来ると、
その気持ちにつけ込まれて詐欺に
引っかかってしまったりする危険が高くなるので、
注意した方が良いですね、ほんとに。

でもまあ、あえてここでは、

本当の自分に近づくための具体的で
なるべくなら即効性がある方法をいくつか
上げてみたいと思いますが・・・・

まあ私の経験上で具体的な方法の一つは、

身の回りを徹底的に整理整頓する事から
はじめるのが、一番分りやすい方法かと
思います。

ただこの方法は、自分の身の周りは
整理整頓してないと気がすまないと
云う几帳面な人は、関係ないので
スルーして下さい。

この方法は、部屋が物で溢れていて
何時まで経っても片付かないって云う方や、
なかなか物が捨てられないと云う
私のような貧乏性の方には、実践すれば
するほど効果が期待できます。

結構数年前より注目されている方法で

「断捨離」と云われているようです。

CIMG0017

 

自分の持ち物全てを見直し

要らない物は、全て捨ててしまい
必要な物は、しっかり整理整頓して管理する
という方法で、
すごくシンプルなので方法論としては
簡単ですが、実行するには、
それなりの覚悟と決断が必要だと
思います。

今現在皆さんが住まわれている家屋や
その自分の部屋等を見直すと

自分の部屋の中の状態はある意味では、
現在の自分の状態が投影されていると云えます。

自分の身の回りの品々は、ある意味では、
自分の思いの表れだと思います。

将来の自分はこうありたいと自分の理想の姿
や生活環境を実現したいと日々行動されている
と思いますが、その中にあって理想の自分を
手に入れるためには、これとあれとこれが
必要なので、購入してという感じで、

自分の身の周りにいろいろな物が集まって来ます。

人によって求めているものやその価値観、
興味のあるものが違うので、当然身の周りに
集まってくる物も十人十色です。

皆さんの身の回りには、何で溢れていますか?

洋服ダンスの中には、めったに着ない服が何着も
眠っているとか・・・

買ったときは良く使ったけど、今ではめったに
使用しないダイエット器具とか・・・

人それぞれで様々だと思います。

そういうほとんど使用していないもの等や
使わなくても良い物をキッチリ整理して
捨ててしまうのです。

所持品のどれを捨ててどれを取っておくか
判断に迷われる方が当然出てくると思います。

ここで本当の自分の認識度が高ければ
高いほど判断に迷いがなく、

迷う度合いの高い方ほど、本当の自分の
認識度は低いと思われます。

例えば、書籍を例に上げると
この本は、世間一般では評価が高いし
105円と安かったので買ってしまったと
云うような場合が、私には結構あったのですが、

定価では買わないが、105円だから
まあ買っておこうかとなったわけで、

新刊で定価で買ってまで読みたい本でないので
この本を読む優先順位は当然低いわけで、
となると、他にやりたい事や、やらなければ
ならない事が多数あると、この本を読むという
行為はそもそも優先順位が低いので、

何時まで経っても、やって来ないという事に
なります。

つまり自分に取って必要ないのに
買ってしまったわけで、ここに自分の
様々な深層心理が見え隠れしていると思います。

つまり、

定価では買わないが105円だから買った
と云うのは、(定価-105円)分得をしたい
と云う気持ちがあった訳で・・・

また、世間一般では評価が高かったから買った
って云うのが購入理由って事は、

世間体を気にしていると見て取れるます。

後は、時間の貴重さを軽視しています。
いつか読めばいいか、良い本みたいだし
という様な感じなので、そのいつかは
永遠にやって来ないのです。

こう云う思いで、購入してしまった
本を処分する事で、それに付随していた
自分の余計な思いも処分するいう事です。

ただ、その本が何かの資格本で、
これまでの自分の生活を反省して
心機一転その資格にチャレンジしようと
いう気持ちになるかもしれません。

その辺は、自分の胸に手を当てて
良く考慮して本当の自分を見出す必要があります。

まあとにかくまずは、簡単に捨てられるものや
いらないものを処分する事によって

自分の必要ない気持ちも整理できて、
自分の内面がクリーンになって

本当の自分を見出しやすくなると思われるので、
意を決して実践してみることをお勧めします。

 

この本も105円で購入しましたが、現在読破中です。

2013-10-27 22.37.23

 

簡単に出来るクリスマス降誕劇の英語台本

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社蓄脱出を考えてみたが・・・

前回は社蓄について
私の思うところを書いてみましたが、
今回は、社蓄を脱出する方法について
考えてみたいと思います。

前回私が掲げた社蓄の定義ですが、

「やりがいのない仕事を
生活のためいやいや行なっており
世間一般的(法的に)に行使できる権利を
抑制されている人」

「会社に安い給料で良いように使われていて
出来れば辞めて他の仕事に就きたいのだけど、
そう出来ずにいる人」

と書きました。

(誰も皆、悩み多き人生ですね)

nayami30m

社蓄って云っても十人十色で各々の状態や環境、

雇用条件やその人個人の考え方があると思うので、
脱出法もそれぞれだと思いますし、

社蓄状態も様々で

前回でも述べたように

・サービス残業がほとんど
・有給休暇が取れない
・仕事の割り振りが不平等
・必要数の働き手がいない
・仕事に見合った給料でない

とか、

・今の仕事にやりがいを感じない
・今の仕事が、嫌で嫌で仕方ない
・職場の人間関係が悪い
・休み明け仕事に行くのが億劫

とかになってくるかなと思うのですが、
これらに対して一つひとつ具体的に改善方法を
考えるて云うのも、良い方法とは思いますが
やや局所的な対応法って云う感じが否めないので
ここでは、原則的な改善方法を考えたいと思います。

つまり、単なる社蓄脱出方法ではなく
自己改善方法と云った方が的確かもしれません。

やっぱり現在の自分自身や自分の置かれている立場や環境に
不満な場合どういう風に自己改善していくかと
云うことですが・・・・

まず最初に現在の自分自身と自分の立場や環境を
良く把握する事だと思います。

なんかさらっと書きましたが、
これを自分が納得できるレベルまで出来るようになるには
結構難しいって云うか結構大変な事だと思います。

まあ自分の環境って云うのは、現在の自分自身の
雇用条件であったり人間関係であったり外面的事なので
さほど難しくないかもしれませんが、

自分自身を知ることは、大変難しい事だと思います。

自分にはどういう才能があるのか?
自分は人生においてどういう責任や役目があるのか?
本当の自分を見い出すには?

う~んこう云うことは簡単に分るはずないって云うか
まあこれらは一生かかって取り組む課題だと思うので・・・
難しいですね本当に・・・

ただ確実に云えることは、
現在の自分自身は、過去の自分自身の選択の結果に
よって造られたものだっていう事を受け入れなければ
ならないという事です。

これを、今の自分がこうなったのは、
誰々の責任だとか、俺には運がないとか
責任転嫁していたのでは、何時まで経っても
自分を改善する事は難しいと思います。

私もこの記事を書くのに結構書いては消し
書いては書き直しって云う感じでなかなか
考えがまとまらなかったのですが、

自分ならどうするかを考えるって云うか
私自身が現在どうしているかを少し明かすと

長期的目標と短期的目標を決めて
その目標が達成出来るようにコツコツ取り組む
ってのがまず一つの方法になるかと思います。

長期的目標って云うのは
例えば、何か技能を身につけるため日々努力するとかですね。

資格を取得するとか、あるいはネットビジネスで起業
出来るスキルを身につけるとか、まあいろいろあるとは
思いますが、一朝一夕には行かないが、
まず自分がどうなりたいかをイメージしてそれに向かって目標を決めて、
それじゃ今の自分が一歩それに向かって踏み出すには
どうしたらいいかを具体的に考えて実行する事になります。

 

短期的目標って云うのは、

日々の心がけって云うか、今の自分がちょっとの心がけで
出来ることを地道に毎日行なうって事です。

モルモン書の中の聖句に

「小さなことから大きなことが生じる」

って言う聖句があるのですが、

日々のちょっとした心がけや積み重ねが
やがて大きな違いになって来るって云うようなことが
あると思います。

まあこの長期的目標や短期的目標を起てて
実践する意義は、

長期的目標は、自分のスキルアップをはかり
雇用条件を改善したり独立して起業するって意図が
あったり

短期的目標は、少しずつ自分を良い方に変えていく
って云う意味があるのですが、

結局この二つは自制心を高め自己管理能力を高めるって
事だと思います。

会社に所属しても、自分自身で企業するにしても
やっぱり自制心って云うか自己管理能力が低いレベルだと
成功は納められないって云うか、経済的に成功しても
幸せにはなれないって云う気がします。

私は、結構パソコン好きなので、
一時ネットビジネスで起業して独立できればいいかなぁ~とか、
そういうフリーな生活に憧れた時もあるのですが

(正直今も少しそういう気持ちが残っていますが・・・・)

ただ今でも数通のネットビジネス関係のメルマガを読んでいますが、
時々メルマガアフィリエイターの方でも本音を云われる方がいたりして

ネットビジネスで起業して、自分の好きな時に寝て好きな時に起きて
好きな時に好きな場所で仕事して、何か一般のサラリーマンと
比べたら収入も多いし自由だしと羨ましがられることが多いのですが、

健康状態は年々低下してきて、気分もすぐれないし・・・

と云うような事を書いているメルマガアフィリエイターさんがいたり

 

現在はサイトアフィリ塾の塾長として活躍している方の
ブレイクした時の事を綴っているブログ記事を見ると
大学生の時アフィリエイトを知って大学に通いながら寝ているとき以外は
PCの前にいて一日18時間作業するときもあったとかで、
はじめて3ヶ月後で月収40万円を突破したけれど収入が増えれば増えるほど
何故か不安も大きくなって月収250万円になった時に法人化したのだけど
その時が一番辛かったと書いておられます。

この経験から

「金を稼ぐという経済的成功」と「幸せになる事」は
まったく別のカテゴリーだなと体感したと述べられています。
まあもちろんネットビジネスで成功して独立起業して
幸せになった方も多数おられるかと思いますので、
一概には云えませんが、

私の見解では、初めにも書きましたが自分自身の責任や役割を良く
把握してそれに徹する事が大切だと思います。

それによって経済的に成功する人もいれば、
世間一般的に平々凡々な人もいるわけで、
まあお金のことは自分の社会的責任を果たして後から付いてくる分で
満足するって云うのが最善のように思います。

ですから、自分が「幸せになる」という事が
一番大切な事なので、それよりも優先順位を高くするものを
造ってしまうと「幸福感」を損ねる結果になるかと思います。

ですから、社蓄を脱出するには、
本当の自分を見つけ出すという事で解決できるのでは
ないかと考えます。

それが、会社を辞めて起業する事かもしれませんし
今の勤め先で心機一転頑張る事かもしれませんし、

人間ってちょっとした心がけや、

パラダイム変換で置かれている環境や立場が余り変わらなくても
自分自身の心の状態が劇的に変化することもあるので・・・
また逆に環境や立場が変わっても心の状態がさほど変わらないっていう事も
普通にあるので、結局は一日一日を大切にコツコツ努力するしか
幸せになる道はないのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社蓄って何?

前回は、私の職場の事を少しご紹介しましたが、
今回は、仕事について考えたいと思います。

男性にとって仕事は、自分の人生の大半の時間は
仕事をしている時間となる訳で、それを考えると
どういう仕事に就くかで、どういう人生を過ごすか
という事になってくるとある意味では云えると思います。
まあもちろん仕事だけが人生では、ないですが、
自分の人生の中で、仕事の割合は個人差があるとは
いえ、かなりの割合占めると思うので
そう云わざる得ないと云うのが正直なところです。

数年前からネットで社蓄という言葉を。時折見かけるように
なりました。

まあ漢字と云う文字は便利なもので、初めて見たとき
一目でその意味するところは察せたのですが、

ようするに、会社に飼われた家畜という意味が、直感的に
読み取れました。

初めは、「上手いこと云うなぁ~」と思う気持ちと、
私も会社勤めの身ですから、「なかなか厳しいなぁ」と

思う気持ちと半々だったような感じでした。

 

(社蓄ってどういう状態???)

yun_1592

 

会社勤めをする人にも、もちろんですが、

自分の仕事に誇りを持って、やりがいのある仕事や
気の合う仲間に囲まれて団結心や連帯感を育み
生きがいを感じている人も多数おられると思いますが、

半面、

ただ生活のためだけで会社に通っているとか、
まあ他の仕事がなく仕方なく勤めているとか、
やりがいがない仕事をいやいやしているとか、

こういう方もいらっしゃると思います。

私の個人的な考えは、やっぱり社会に出て仕事をするって事は、
単に働いて自分自身が自立して家族を養っていくだけのものでは
なく、

つまり、

社会に出て自分自身が何らかの役目を担って
社会の歯車となりその責任を果たす事によって社会が円滑に
回っていき自身もそれによって、働き甲斐や
生きがい、達成感と云うものが味わえると思うのです。

ですから、単に給与が良いとか福利厚生がしっかりしている
とかそう云う理由だけで会社や仕事を選ぶのではなく、
自分の能力や才能を生かしたポジションはどこなのか?

自分の適性を良く知って、職業を選ぶ必要があると思います。

俗に言う「天職」って云うやつですね。

でもなかなかそれが難しいっていう現状の人も多いと思われます。

かく言う私もその類で、未だに自分にはもっと合った仕事が
あるのではないかと思う事多々あり、
未だに試行錯誤の日々っていう感じです。
さて、社蓄についてですが、

社蓄の定義って云うのが、良く分らないですが、
やっぱり、私が思うところでは、(勝手に考えたところでは)

「やりがいのない仕事を生活のためいやいや行なっており
世間一般的(法的に)に行使できる権利を抑制されている人」

と云ったところでしょうか?

まあもっと砕けて云えば、

「会社に安い給料で良いように使われていて
出来れば辞めて他の仕事に就きたいのだけど、
そう出来ずにいる人」

こんな感じでしょうか?

世間一般的(法的)に行使出来る権利を抑制されている
と云うのは、具体的に云うと

・サービス残業がほとんど
・有給休暇が取れない
・仕事の割り振りが不平等
・必要数の働き手がいない
・仕事に見合った給料でない

などが上げられるかと思います。

私もこれまで若い時の短期のアルバイトなども含めると
20~30の仕事を経験してきましたが、

雇用条件が上記に上げたようなひどいところが結構ありました。
数年前派遣会社関連の法律が改正され、今では大分ましになったようですが、
私が経験した派遣会社で、ひどいところの一例を上げると

雇用条件が時間給の契約だと、いついつから給料日の締めまでの
働いた時間数でその月の給料が計算されるのですが、

つまり自給1000円で月160時間働くと

その月の給料は、1000円 × 160時間 = 16万円

という事になりますよね。

(実際もらう金額は、これに交通費や解禁手当てがあればそれも付き
そこから税金や保険料金等を引かれた金額が手取り金額になりますが)

ところが、私が十数年前所属していた派遣会社は、
遅刻したり欠勤したりすると、皆勤手当てがなくなるだけでなく
時給が下がるという契約を労働者と交わしていました。

つまり、

給料の締め日までに遅刻あるいは欠勤すると時給が、1000円から950円に
さらにもう一日休むと900円にと云う感じです。(金額は例えです。)

つまりその月に二日休むと

900円 × 8時間(一日の労働時間)× (20日-2日)= 12万9千6百円

となってしまうのです。

まあこの派遣会社は他の対応はキッチリして働き安かったって
云うのはあるんですが、この時給降格システムっていうのは、
今から考えるとよく訴える人が出なかったなぁ~と思います。

(法的にどう違反かは、私では、ハッキリ分りかねますが・・・)

別の派遣会社の例を上げると

これは私が所属していた派遣会社ではないですが、
契約の時に勝手に事務手数料っていう項目を作って
労働者から徴収していたって云うのがありました。

これは、訴える人が出てきて、裁判に負け結局その
勝手に徴収した事務手数料を返還する事になって
一件略着となりました。
こういった感じで、会社自体が法律を守らず会社の都合の良いように
ルールを勝手に決めてそれを適用するって言うのが今でも後を
断たないと思います。

(良くある例で言うと残業時間を労働基準法では15分単位で付けなければ
ならないのですが、30分単位でつけているとか)

まあ派遣会社とか組合がないかあるいは弱い会社だと
ほんとに会社のいいなりにならざる得ないっていうのが
ある程度はあると思います。

だから、十数年前に「派遣切り反対」みたいなプラカードを
持って会社の門前で、団体で抗議する労働争議みたいなのが
ありましたが、それをテレビで見た私は、自分があの立場だったら
労働争議などせずにとっとと解雇された会社等相手にせず
次の働き場所を探すのにと思っていました。

まあ今から考えると私が、したたかと云うか冷淡なのかもかもしれません。
あのように労働争議をする人は、自分の貴重な人生の時間を使って
社会的弱者の労働者の立場を少しでも良くするために活動している
人もいるでしょうから・・・・

ただ私がそこまで労働者の権利を主張するのはちょっとと思っていて

つまり

上記に組合のないあるいは弱い会社は、会社の言いなりにならざる得ない
と云いましたが、逆に組合が強すぎて労働者の権利主張をしすぎるってのも
ある意味では問題があると思っているからです。

どういうことかと云うと、

つまり、

ここである程度残業や休日出勤等をして頑張っておかないとライバル会社との
販売競争に不利になってしまうという時に、組合が会社に残業時間、休日出勤時間の
短縮を求めたりして、市場競争に遅れをとってしまうと云う場合があると思うからです。

まあ上記はほんの一例ですが、やっぱり会社が潤って各労働者が潤う、WIN、WINの
関係でなければ、継続的な利益を得ることは難しいと思われます。

ですからあんまり法律を守れと杓子定規に会社に主張するのもどうかと思っていて
まあ末端の一労働者には会社の経営状態が分らないから難しいとは思いますが、

ただ自分勝手に自分が得をする事ばかり考えていると、結局自分自身の心の安定を
失う事になりつまるところ不幸を招くと思われるからです。

利己的に接するのは会社であっても人であってもダメという事です。

やっぱり仕事に限らず、この世に生を受けた一人の人間として
自分自身の責任や役割をしっかりと把握して
それを全うする時に、達成感や充実感が感じられ
幸福感も感じることが出来るのではないかと思います。
しかし、なかなか自分自身を知ること、
自分自身に徹することって難しいですね。

同感の方は、神様、イエスキリストに頼りましょう。
この方々は、私達より私達自身の事をご存知で
私たちの事をいつも気にかけておられます。
時々神様に頼ろうとする人は、
弱い人間と云うような事を云われる方がいますが、
私はそうは思いません。

人一人ひとりは実際弱いものですし
その弱さを認めて現実を知ることが
強さの始まりと考えるからです。

もし人がわたしのもとに来るならば、
わたしは彼らに各々の弱さを示そう。
わたしは人を謙遜にするために、
人に弱さを与える。

わたしの前にへりくだるすべての者に対して、
わたしの恵は十分である。

もし彼らがわたしの前にへりくだり、
わたしを信じるならば、そのとき、
わたしは彼らの弱さを強さに変よう。

(モルモン書 エテル書12章27節)

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