幸福の本質を探求する 末日聖徒イエスキリスト教会会員のブログ

最新記事更新情報

  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • newsingブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する
  • ニフティクリップに登録する
  • RSSを購読する

2014年の目標

新年明けましておめでとうございます。
いよいよ2014年の幕があけましたが、
お正月と云えば、私の子供の頃は、
テレビを見ながらお正月の特別番組をこたつで、
見ながらお餅やみかんを食べるのが常だったのですが。

最近は、昔と比べてお正月の風景も大分変わったと
いう感じがします。

最近は、日本古来の伝統的なお正月の遊び
凧あげ、こま回し、福笑いやすごろくなんかは、
ほとんど見かけることが無くなってしまったようで・・・

そう云う日本古来の伝統的なものに触れると
何故か気持ち的にほっとするものがあるので
ほとんど見かけることが無くなり個人的には
少し寂しい感じがします。

これも何もかも合理的になってしまった
現代の時代の象徴でしょうか?

さて、一年の計は元旦にありと云われますが、
元旦に今年の目標等を決めた方もいらっしゃる
と思います。

私も大晦日に今使っているノートを見ていると
2013年のお正月に書き込んだと思われる
2013年のやりたいことリストが目に留まりました。

ですが・・・結果は・・・ほぼ全滅で(汗・・・)
一年が過ぎるのって本当に早いなぁ~と改めて思います。

さて、私の本年の目標ですが、
前回の書いた信仰生活をおくる上での三つの基本事項

1、安息日(日曜日)は教会に集い聖餐会に出席して聖餐を摂る。
2、毎日朝晩お祈りをする
3、毎日聖典を読み研究する

この三つを今までどおり継続して行い
さらに今まで以上濃密な内容に出来ればと考えています。

どの分野においても一流と云われる人は、
基本に忠実でそれを根気よく地道に継続して
おられると思うので、私も信仰生活の土台に
なっている上記の基本事項をさらに固めることが
出来きればと思っています。

更なる飛躍を遂げようとすれば、
基本的なこと、その基盤が磐石でないと
伸びしろも短くなってしまうと思うので・・

霊的(精神的)に安定してはじめて
日々の生活の中の具体的な指針がはっきり
してくると思うので、まず霊的なものを
しっかりさせたいと思っています。

後は、自分の現在の責任をよく知って
それに徹するということでしょうか。

それと結局人生の成功の鍵は自己管理能力が
どれだけのレベルになれるかだと思います。

自己管理能力を高めるには、本当の自分を知ることが
必要になって来て・・・・

なんかこれまでに書いてきたことに戻ってしまう
のですが、本当の自分を見つける事は一生涯続く
事だと思うので、年々自分自身が明確になって行けば
いいのではないかと思います。

去年本当の自分を見つけるには?
どうすればいいのか少し書きましたが、
私の私的な考えで止まっていたように
思うので、

今年は、末日聖徒の教会員がそれを
どういう風に行っているかを書いてみたいと
思っています。

このブログは末日聖徒のことを主に書くブログ
なので本当は、もっと早く書くべきだったかとも
思いますが、

霊的な事って説明するのが難しいんですね
霊的な事って目に見えないことなので
個々が感じる感性で理解する事なので、
末日聖徒の教会員同士でも霊的な感受性が
豊かな人とそうでない人がいるので
なかなか理解し合えない時もあったりします。

まあそれだけ、個々で人生の役割だとか責任が
違うし、だから人生の歩みも違ってくると
云うことになると思います。

このブログの訪問者さんも
精神的な強さを得たいとお考えなら
何か自分の心を落ち着かせるものを見つけて
毎日継続して行う事をお勧めします。

それを見つけることが出来ないっていう方は、
とりあえず聖書を一日一章読むとか
一日に一回神様にお祈りするとか
理屈は分からなくても実践すれば
実践しただけの効果は期待出来るので、
やってみる事をお勧めします。

長く続ければ、続けるほどその効果が、
現れると思うし、それが習慣になって来ると
ある日なんか最近の自分って焦らなくなったなぁ~
とか、最近腹立つことなくなったぁ~とか

自分の変化に気づく日が来ると思います。

まあとにかく2014年が始まって
お互いに今年も前向きに日々を過ごして行きましょう。

それではまた!!

 

 

教会に集い続けるためには

今年も残すところ後数分となりました。
毎年大晦日を迎えると時の流れが年々早く
感じられるので、本当に年をとるのは、
早いなぁ~と思います。

この時期には、今年はどうだったか
を振り返ってみたりして今年を回想
している方が多いかと思います。

私の集う末日聖徒イエス・キリスト教会枚方ワード
では、今年は改宗者が五人出たので、結構良い年
だったと思います。

改宗者と云うのは、イエス・キリストの
教えを受け入れてバプテスマを受け
新しく教会員になられた方のことで、
4~5年前は、年間で一人改宗するかしないか
だったのですが、2~3年前から年間数人改宗
者が出るようになり、今年は5人出たので
まあ良かったかなと思うわけで・・・・

でもこれまでのパターンだと大体5人改宗しても
続くのは5人の内一人という感じだったのですが、
これも今年は、5人中4人が、現時点では、
毎週活発に集われているし、もう一人の方も
仕事の都合で日曜日教会に集えないというだけで
気持ち的には、活発なようなのでこれもうれしい
誤算という感じで、良かったと思っています。
私は教会員になってもう32年になるのですが、
たまにですが、教会に長く集い続けるには、
どういう心がけが必要なのか聞かれることが
あります。

やっぱり数年続いても来なくなってしまう
人もいる訳で・・・・・・

教会に来なくなってしまう理由って云うのは、
いろいろある訳ですが、ある人は、仕事を
日曜日にもするようになったり、ある人は、
人間関係がこじれてしまったり、

ある人は、一般社会の世界の方が、魅力的に
映ったりと理由はは様々ですが、
本質的な原因は私的には同じだと感じています。

つまり教会員生活っていうのは、日曜日教会に
集うだけでなく、日曜日教会で学んだことを
どれだけ普段の生活で応用して実践出来ているのか
が、大切な訳で・・・

普段の生活でどれだけ教会の教えを実践して
霊の糧を得ることが出来ているかが、
その人が霊的成長の速度を決めるので、
その辺のところをしっかり固めるのが
大切だと思います。

具体的に云うと、

日々のお祈りと聖典学習ですね。
それと安息日を守ることです。

毎日お祈りをして毎日聖典を読み、

日曜日には教会に集って聖餐会に出席して
聖餐を摂るということです。

 

お祈りをする、聖典を読む、日曜日聖餐会に出席して
聖餐を摂る、自分の信仰生活を固めるためには、
この三つを地道に続けていく必要があります。

実はこれは私が改宗して間もないころに
そのころの日曜学校の基礎クラスの教師の方に
教わった事なのですが、最近また改めて

この三つの大切さを実感しました。

この三つのどれかがおろそかになると
自分自身の霊性も不安定になったりします。
教会員でなくても、精神的に不安定な要素を
持っている方は、この三つの内、一つでも
いいので、実践してみることをお勧めします。

地道に一ヶ月でも続けると、精神的に成長した
自分を発見する可能性が高いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆行現象

イエスキリストの教えの一つに
黄金律って云うのがあります。

結構有名なのでご存知の方も多いと思います。
自分にがしてほしい事を周りの人にしましょう
と云う教えなのですが、

私たちは日々生活する中で
様々な人と接するわけですが、

自分の周りの人に自分が
どういう影響を与えたかという事は、
結構大切で詰るところその影響が、
自分自身に跳ね返って来るということです

末日聖徒の信仰箇条に

「私たちは、人は自分の罪のゆえに
罰せられ」るって云うのがあるのですが、
自分の悪い行いに対してどういう罰があるのか?
と云う事は、いまいちピンと来ないと云う感じで、
イメージが湧いてこなかったのですが、

あるときとある理論を知って少しはイメージ
出来るようになったかなと思ったことがあります。

その理論とは、「逆行現象」です。
これは末日聖徒の教えではないので、
参考までに止めていてほしいのですが、

オーストリア出身の神秘思想家
ルドルフ・シュタイナーが唱えた理論で、

シュタイナーと云う人は、目に見えない
霊の世界が見えたという人で、その霊の世界を
言葉に表した著書を結構な分量残されているらしいです。

例えば、人間の身体にも目に見える部分と
見えない部分があって、目に見えない部分は、
見えないので当然その名前なんかはないわけで・・・

そういった人の身体の見えない部分に名前を
つけて文書にして残したり。

霊の世界、死後の世界を説いたりしたみたいです。

 

人生の彼方には、何が待ち受けているのだろう?

kanata1

まあ私は神秘学なんかは、門外漢なので、
半信半疑のところも多々あるのですが、

これからご紹介する「逆行現象」を始めて知った
時は、妙に感心してしまいました。
その「逆行現象」って云うのは、
どんな理論かと云うと、

人が亡くなると自分の人生をもう一回見ると
いうもので、

つまり、

死んだ瞬間から自分の人生を逆回しに
見るという事で、まあイメージとしては、
映画のフイルムをまき戻す感じでしょうか?

まあようするに自分の生涯を逆行するわけです。

それを見る速度は、自分の人生の睡眠に
費やした時間だとシュタイナーは述べています。

ちょっと分りにくいかと思うので
説明を補足しますと。

60歳で亡くなられた人の生涯は
60年ですが、その人の睡眠時間が
一日8時間とすれば、生涯の睡眠時間は、
20年という事になります。

それで亡くなった瞬間からその人の
人生を逆回しの、逆行現象に入るわけですが、
60年の人生を逆行現象では20年で
見るわけですから、約3倍速になります。

逆行現象の通過時間より重要なのは、
自分が人生の中で周りに与えた影響を
その逆行現象の時感じるという事です。

例えば、自分の生涯で若い時けんかして
相手を殴ったとします。

相手は当然痛いわけで、その痛みを
殴った方は、「逆行現象」の時に感じると
いう事です。

また、誰かに皮肉を云って、相手が
ぐっさと来て傷ついたとします。

その傷ついた気持ちを傷つけた方が
「逆行現象」の時に感じるのです。

この「逆行現象」の理論を初めて聞いたとき
なんと人生って表裏があって平等やなぁ~と
思いました。

もちろん末日聖徒の教義ではないので、
私自身100%信じているわけではないのですが、

その整然とした理論と公平さに
あながち嘘では、ないんじゃないかと
今でも思っていて・・・
このように死後の世界や前世の事を
考えて、自分の人生をこの世だけでなく、
前世や来世を考える事により、
自分の人生をスパンを長く見れるようになると、
人生観とか価値観が変わって

パラダイム転換が起こることがあります。

視野が広がるという事や、
パラダイム転換って云うのは、

人が人格的な成長を遂げようとする時
不可欠なものなので・・・・

結構大切な事だと思います。

まあ、「逆行現象」が真実かどうか私には、
分りかねますが、自分の行いや言葉使い
が周囲に与えた影響は結局自分に返って
来るという事は、日々実感しているので、

自分がしてほしい事、周りの人たちにするって
云う黄金律は、日々実践出来る様に努めて
行きたいと思っています。

「逆行現象」で困らないためにもね。

 

 

 

 

 

本当の自分を見い出す方法

前回は、社蓄脱出方法として
本当の自分を見つけ出すという事で
解決できるとまあ一応結論を提示した
訳ですが、

まあすごく抽象的な無難な一般論なので、
このブログを読んで頂いている方の中には
釈然としなかった方も多数おられるかと
思いますが、まあ書いている本人も

釈然としないって云うか、

そしたら

「本当の自分をどうやって見つけるのか」

という事になるので・・・・

まあこれも一朝一夕には行かないので

・毎日日記を付けて内省する

とか

・日々自分の心の状態を観察して自分が
何をしている時が心落ち着くかを考える

とか、

こういったい地道な日々の積み重ねが
必要になって来る訳で・・・・

まあこれらが、王道なのは、
永遠普遍の真理だとは思いますが、

もうちょっと即効性と云うか
具体的で分りやすく効果が見て取れる
方法はないか考えたりするのですが、

まあ楽して早く成果を出したいって云う
気持ちが自分の心の中に生じてくると
危ない前兆だと注意した方がいいですが、

そういう気持ちが生じて来ると、
その気持ちにつけ込まれて詐欺に
引っかかってしまったりする危険が高くなるので、
注意した方が良いですね、ほんとに。

でもまあ、あえてここでは、

本当の自分に近づくための具体的で
なるべくなら即効性がある方法をいくつか
上げてみたいと思いますが・・・・

まあ私の経験上で具体的な方法の一つは、

身の回りを徹底的に整理整頓する事から
はじめるのが、一番分りやすい方法かと
思います。

ただこの方法は、自分の身の周りは
整理整頓してないと気がすまないと
云う几帳面な人は、関係ないので
スルーして下さい。

この方法は、部屋が物で溢れていて
何時まで経っても片付かないって云う方や、
なかなか物が捨てられないと云う
私のような貧乏性の方には、実践すれば
するほど効果が期待できます。

結構数年前より注目されている方法で

「断捨離」と云われているようです。

CIMG0017

 

自分の持ち物全てを見直し

要らない物は、全て捨ててしまい
必要な物は、しっかり整理整頓して管理する
という方法で、
すごくシンプルなので方法論としては
簡単ですが、実行するには、
それなりの覚悟と決断が必要だと
思います。

今現在皆さんが住まわれている家屋や
その自分の部屋等を見直すと

自分の部屋の中の状態はある意味では、
現在の自分の状態が投影されていると云えます。

自分の身の回りの品々は、ある意味では、
自分の思いの表れだと思います。

将来の自分はこうありたいと自分の理想の姿
や生活環境を実現したいと日々行動されている
と思いますが、その中にあって理想の自分を
手に入れるためには、これとあれとこれが
必要なので、購入してという感じで、

自分の身の周りにいろいろな物が集まって来ます。

人によって求めているものやその価値観、
興味のあるものが違うので、当然身の周りに
集まってくる物も十人十色です。

皆さんの身の回りには、何で溢れていますか?

洋服ダンスの中には、めったに着ない服が何着も
眠っているとか・・・

買ったときは良く使ったけど、今ではめったに
使用しないダイエット器具とか・・・

人それぞれで様々だと思います。

そういうほとんど使用していないもの等や
使わなくても良い物をキッチリ整理して
捨ててしまうのです。

所持品のどれを捨ててどれを取っておくか
判断に迷われる方が当然出てくると思います。

ここで本当の自分の認識度が高ければ
高いほど判断に迷いがなく、

迷う度合いの高い方ほど、本当の自分の
認識度は低いと思われます。

例えば、書籍を例に上げると
この本は、世間一般では評価が高いし
105円と安かったので買ってしまったと
云うような場合が、私には結構あったのですが、

定価では買わないが、105円だから
まあ買っておこうかとなったわけで、

新刊で定価で買ってまで読みたい本でないので
この本を読む優先順位は当然低いわけで、
となると、他にやりたい事や、やらなければ
ならない事が多数あると、この本を読むという
行為はそもそも優先順位が低いので、

何時まで経っても、やって来ないという事に
なります。

つまり自分に取って必要ないのに
買ってしまったわけで、ここに自分の
様々な深層心理が見え隠れしていると思います。

つまり、

定価では買わないが105円だから買った
と云うのは、(定価-105円)分得をしたい
と云う気持ちがあった訳で・・・

また、世間一般では評価が高かったから買った
って云うのが購入理由って事は、

世間体を気にしていると見て取れるます。

後は、時間の貴重さを軽視しています。
いつか読めばいいか、良い本みたいだし
という様な感じなので、そのいつかは
永遠にやって来ないのです。

こう云う思いで、購入してしまった
本を処分する事で、それに付随していた
自分の余計な思いも処分するいう事です。

ただ、その本が何かの資格本で、
これまでの自分の生活を反省して
心機一転その資格にチャレンジしようと
いう気持ちになるかもしれません。

その辺は、自分の胸に手を当てて
良く考慮して本当の自分を見出す必要があります。

まあとにかくまずは、簡単に捨てられるものや
いらないものを処分する事によって

自分の必要ない気持ちも整理できて、
自分の内面がクリーンになって

本当の自分を見出しやすくなると思われるので、
意を決して実践してみることをお勧めします。

 

この本も105円で購入しましたが、現在読破中です。

2013-10-27 22.37.23

 

簡単に出来るクリスマス降誕劇の英語台本

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社蓄脱出を考えてみたが・・・

前回は社蓄について
私の思うところを書いてみましたが、
今回は、社蓄を脱出する方法について
考えてみたいと思います。

前回私が掲げた社蓄の定義ですが、

「やりがいのない仕事を
生活のためいやいや行なっており
世間一般的(法的に)に行使できる権利を
抑制されている人」

「会社に安い給料で良いように使われていて
出来れば辞めて他の仕事に就きたいのだけど、
そう出来ずにいる人」

と書きました。

(誰も皆、悩み多き人生ですね)

nayami30m

社蓄って云っても十人十色で各々の状態や環境、

雇用条件やその人個人の考え方があると思うので、
脱出法もそれぞれだと思いますし、

社蓄状態も様々で

前回でも述べたように

・サービス残業がほとんど
・有給休暇が取れない
・仕事の割り振りが不平等
・必要数の働き手がいない
・仕事に見合った給料でない

とか、

・今の仕事にやりがいを感じない
・今の仕事が、嫌で嫌で仕方ない
・職場の人間関係が悪い
・休み明け仕事に行くのが億劫

とかになってくるかなと思うのですが、
これらに対して一つひとつ具体的に改善方法を
考えるて云うのも、良い方法とは思いますが
やや局所的な対応法って云う感じが否めないので
ここでは、原則的な改善方法を考えたいと思います。

つまり、単なる社蓄脱出方法ではなく
自己改善方法と云った方が的確かもしれません。

やっぱり現在の自分自身や自分の置かれている立場や環境に
不満な場合どういう風に自己改善していくかと
云うことですが・・・・

まず最初に現在の自分自身と自分の立場や環境を
良く把握する事だと思います。

なんかさらっと書きましたが、
これを自分が納得できるレベルまで出来るようになるには
結構難しいって云うか結構大変な事だと思います。

まあ自分の環境って云うのは、現在の自分自身の
雇用条件であったり人間関係であったり外面的事なので
さほど難しくないかもしれませんが、

自分自身を知ることは、大変難しい事だと思います。

自分にはどういう才能があるのか?
自分は人生においてどういう責任や役目があるのか?
本当の自分を見い出すには?

う~んこう云うことは簡単に分るはずないって云うか
まあこれらは一生かかって取り組む課題だと思うので・・・
難しいですね本当に・・・

ただ確実に云えることは、
現在の自分自身は、過去の自分自身の選択の結果に
よって造られたものだっていう事を受け入れなければ
ならないという事です。

これを、今の自分がこうなったのは、
誰々の責任だとか、俺には運がないとか
責任転嫁していたのでは、何時まで経っても
自分を改善する事は難しいと思います。

私もこの記事を書くのに結構書いては消し
書いては書き直しって云う感じでなかなか
考えがまとまらなかったのですが、

自分ならどうするかを考えるって云うか
私自身が現在どうしているかを少し明かすと

長期的目標と短期的目標を決めて
その目標が達成出来るようにコツコツ取り組む
ってのがまず一つの方法になるかと思います。

長期的目標って云うのは
例えば、何か技能を身につけるため日々努力するとかですね。

資格を取得するとか、あるいはネットビジネスで起業
出来るスキルを身につけるとか、まあいろいろあるとは
思いますが、一朝一夕には行かないが、
まず自分がどうなりたいかをイメージしてそれに向かって目標を決めて、
それじゃ今の自分が一歩それに向かって踏み出すには
どうしたらいいかを具体的に考えて実行する事になります。

 

短期的目標って云うのは、

日々の心がけって云うか、今の自分がちょっとの心がけで
出来ることを地道に毎日行なうって事です。

モルモン書の中の聖句に

「小さなことから大きなことが生じる」

って言う聖句があるのですが、

日々のちょっとした心がけや積み重ねが
やがて大きな違いになって来るって云うようなことが
あると思います。

まあこの長期的目標や短期的目標を起てて
実践する意義は、

長期的目標は、自分のスキルアップをはかり
雇用条件を改善したり独立して起業するって意図が
あったり

短期的目標は、少しずつ自分を良い方に変えていく
って云う意味があるのですが、

結局この二つは自制心を高め自己管理能力を高めるって
事だと思います。

会社に所属しても、自分自身で企業するにしても
やっぱり自制心って云うか自己管理能力が低いレベルだと
成功は納められないって云うか、経済的に成功しても
幸せにはなれないって云う気がします。

私は、結構パソコン好きなので、
一時ネットビジネスで起業して独立できればいいかなぁ~とか、
そういうフリーな生活に憧れた時もあるのですが

(正直今も少しそういう気持ちが残っていますが・・・・)

ただ今でも数通のネットビジネス関係のメルマガを読んでいますが、
時々メルマガアフィリエイターの方でも本音を云われる方がいたりして

ネットビジネスで起業して、自分の好きな時に寝て好きな時に起きて
好きな時に好きな場所で仕事して、何か一般のサラリーマンと
比べたら収入も多いし自由だしと羨ましがられることが多いのですが、

健康状態は年々低下してきて、気分もすぐれないし・・・

と云うような事を書いているメルマガアフィリエイターさんがいたり

 

現在はサイトアフィリ塾の塾長として活躍している方の
ブレイクした時の事を綴っているブログ記事を見ると
大学生の時アフィリエイトを知って大学に通いながら寝ているとき以外は
PCの前にいて一日18時間作業するときもあったとかで、
はじめて3ヶ月後で月収40万円を突破したけれど収入が増えれば増えるほど
何故か不安も大きくなって月収250万円になった時に法人化したのだけど
その時が一番辛かったと書いておられます。

この経験から

「金を稼ぐという経済的成功」と「幸せになる事」は
まったく別のカテゴリーだなと体感したと述べられています。
まあもちろんネットビジネスで成功して独立起業して
幸せになった方も多数おられるかと思いますので、
一概には云えませんが、

私の見解では、初めにも書きましたが自分自身の責任や役割を良く
把握してそれに徹する事が大切だと思います。

それによって経済的に成功する人もいれば、
世間一般的に平々凡々な人もいるわけで、
まあお金のことは自分の社会的責任を果たして後から付いてくる分で
満足するって云うのが最善のように思います。

ですから、自分が「幸せになる」という事が
一番大切な事なので、それよりも優先順位を高くするものを
造ってしまうと「幸福感」を損ねる結果になるかと思います。

ですから、社蓄を脱出するには、
本当の自分を見つけ出すという事で解決できるのでは
ないかと考えます。

それが、会社を辞めて起業する事かもしれませんし
今の勤め先で心機一転頑張る事かもしれませんし、

人間ってちょっとした心がけや、

パラダイム変換で置かれている環境や立場が余り変わらなくても
自分自身の心の状態が劇的に変化することもあるので・・・
また逆に環境や立場が変わっても心の状態がさほど変わらないっていう事も
普通にあるので、結局は一日一日を大切にコツコツ努力するしか
幸せになる道はないのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社蓄って何?

前回は、私の職場の事を少しご紹介しましたが、
今回は、仕事について考えたいと思います。

男性にとって仕事は、自分の人生の大半の時間は
仕事をしている時間となる訳で、それを考えると
どういう仕事に就くかで、どういう人生を過ごすか
という事になってくるとある意味では云えると思います。
まあもちろん仕事だけが人生では、ないですが、
自分の人生の中で、仕事の割合は個人差があるとは
いえ、かなりの割合占めると思うので
そう云わざる得ないと云うのが正直なところです。

数年前からネットで社蓄という言葉を。時折見かけるように
なりました。

まあ漢字と云う文字は便利なもので、初めて見たとき
一目でその意味するところは察せたのですが、

ようするに、会社に飼われた家畜という意味が、直感的に
読み取れました。

初めは、「上手いこと云うなぁ~」と思う気持ちと、
私も会社勤めの身ですから、「なかなか厳しいなぁ」と

思う気持ちと半々だったような感じでした。

 

(社蓄ってどういう状態???)

yun_1592

 

会社勤めをする人にも、もちろんですが、

自分の仕事に誇りを持って、やりがいのある仕事や
気の合う仲間に囲まれて団結心や連帯感を育み
生きがいを感じている人も多数おられると思いますが、

半面、

ただ生活のためだけで会社に通っているとか、
まあ他の仕事がなく仕方なく勤めているとか、
やりがいがない仕事をいやいやしているとか、

こういう方もいらっしゃると思います。

私の個人的な考えは、やっぱり社会に出て仕事をするって事は、
単に働いて自分自身が自立して家族を養っていくだけのものでは
なく、

つまり、

社会に出て自分自身が何らかの役目を担って
社会の歯車となりその責任を果たす事によって社会が円滑に
回っていき自身もそれによって、働き甲斐や
生きがい、達成感と云うものが味わえると思うのです。

ですから、単に給与が良いとか福利厚生がしっかりしている
とかそう云う理由だけで会社や仕事を選ぶのではなく、
自分の能力や才能を生かしたポジションはどこなのか?

自分の適性を良く知って、職業を選ぶ必要があると思います。

俗に言う「天職」って云うやつですね。

でもなかなかそれが難しいっていう現状の人も多いと思われます。

かく言う私もその類で、未だに自分にはもっと合った仕事が
あるのではないかと思う事多々あり、
未だに試行錯誤の日々っていう感じです。
さて、社蓄についてですが、

社蓄の定義って云うのが、良く分らないですが、
やっぱり、私が思うところでは、(勝手に考えたところでは)

「やりがいのない仕事を生活のためいやいや行なっており
世間一般的(法的に)に行使できる権利を抑制されている人」

と云ったところでしょうか?

まあもっと砕けて云えば、

「会社に安い給料で良いように使われていて
出来れば辞めて他の仕事に就きたいのだけど、
そう出来ずにいる人」

こんな感じでしょうか?

世間一般的(法的)に行使出来る権利を抑制されている
と云うのは、具体的に云うと

・サービス残業がほとんど
・有給休暇が取れない
・仕事の割り振りが不平等
・必要数の働き手がいない
・仕事に見合った給料でない

などが上げられるかと思います。

私もこれまで若い時の短期のアルバイトなども含めると
20~30の仕事を経験してきましたが、

雇用条件が上記に上げたようなひどいところが結構ありました。
数年前派遣会社関連の法律が改正され、今では大分ましになったようですが、
私が経験した派遣会社で、ひどいところの一例を上げると

雇用条件が時間給の契約だと、いついつから給料日の締めまでの
働いた時間数でその月の給料が計算されるのですが、

つまり自給1000円で月160時間働くと

その月の給料は、1000円 × 160時間 = 16万円

という事になりますよね。

(実際もらう金額は、これに交通費や解禁手当てがあればそれも付き
そこから税金や保険料金等を引かれた金額が手取り金額になりますが)

ところが、私が十数年前所属していた派遣会社は、
遅刻したり欠勤したりすると、皆勤手当てがなくなるだけでなく
時給が下がるという契約を労働者と交わしていました。

つまり、

給料の締め日までに遅刻あるいは欠勤すると時給が、1000円から950円に
さらにもう一日休むと900円にと云う感じです。(金額は例えです。)

つまりその月に二日休むと

900円 × 8時間(一日の労働時間)× (20日-2日)= 12万9千6百円

となってしまうのです。

まあこの派遣会社は他の対応はキッチリして働き安かったって
云うのはあるんですが、この時給降格システムっていうのは、
今から考えるとよく訴える人が出なかったなぁ~と思います。

(法的にどう違反かは、私では、ハッキリ分りかねますが・・・)

別の派遣会社の例を上げると

これは私が所属していた派遣会社ではないですが、
契約の時に勝手に事務手数料っていう項目を作って
労働者から徴収していたって云うのがありました。

これは、訴える人が出てきて、裁判に負け結局その
勝手に徴収した事務手数料を返還する事になって
一件略着となりました。
こういった感じで、会社自体が法律を守らず会社の都合の良いように
ルールを勝手に決めてそれを適用するって言うのが今でも後を
断たないと思います。

(良くある例で言うと残業時間を労働基準法では15分単位で付けなければ
ならないのですが、30分単位でつけているとか)

まあ派遣会社とか組合がないかあるいは弱い会社だと
ほんとに会社のいいなりにならざる得ないっていうのが
ある程度はあると思います。

だから、十数年前に「派遣切り反対」みたいなプラカードを
持って会社の門前で、団体で抗議する労働争議みたいなのが
ありましたが、それをテレビで見た私は、自分があの立場だったら
労働争議などせずにとっとと解雇された会社等相手にせず
次の働き場所を探すのにと思っていました。

まあ今から考えると私が、したたかと云うか冷淡なのかもかもしれません。
あのように労働争議をする人は、自分の貴重な人生の時間を使って
社会的弱者の労働者の立場を少しでも良くするために活動している
人もいるでしょうから・・・・

ただ私がそこまで労働者の権利を主張するのはちょっとと思っていて

つまり

上記に組合のないあるいは弱い会社は、会社の言いなりにならざる得ない
と云いましたが、逆に組合が強すぎて労働者の権利主張をしすぎるってのも
ある意味では問題があると思っているからです。

どういうことかと云うと、

つまり、

ここである程度残業や休日出勤等をして頑張っておかないとライバル会社との
販売競争に不利になってしまうという時に、組合が会社に残業時間、休日出勤時間の
短縮を求めたりして、市場競争に遅れをとってしまうと云う場合があると思うからです。

まあ上記はほんの一例ですが、やっぱり会社が潤って各労働者が潤う、WIN、WINの
関係でなければ、継続的な利益を得ることは難しいと思われます。

ですからあんまり法律を守れと杓子定規に会社に主張するのもどうかと思っていて
まあ末端の一労働者には会社の経営状態が分らないから難しいとは思いますが、

ただ自分勝手に自分が得をする事ばかり考えていると、結局自分自身の心の安定を
失う事になりつまるところ不幸を招くと思われるからです。

利己的に接するのは会社であっても人であってもダメという事です。

やっぱり仕事に限らず、この世に生を受けた一人の人間として
自分自身の責任や役割をしっかりと把握して
それを全うする時に、達成感や充実感が感じられ
幸福感も感じることが出来るのではないかと思います。
しかし、なかなか自分自身を知ること、
自分自身に徹することって難しいですね。

同感の方は、神様、イエスキリストに頼りましょう。
この方々は、私達より私達自身の事をご存知で
私たちの事をいつも気にかけておられます。
時々神様に頼ろうとする人は、
弱い人間と云うような事を云われる方がいますが、
私はそうは思いません。

人一人ひとりは実際弱いものですし
その弱さを認めて現実を知ることが
強さの始まりと考えるからです。

もし人がわたしのもとに来るならば、
わたしは彼らに各々の弱さを示そう。
わたしは人を謙遜にするために、
人に弱さを与える。

わたしの前にへりくだるすべての者に対して、
わたしの恵は十分である。

もし彼らがわたしの前にへりくだり、
わたしを信じるならば、そのとき、
わたしは彼らの弱さを強さに変よう。

(モルモン書 エテル書12章27節)

モルモン書プレゼントページはこちらから

日常的な幸福感

前回までは、数回にわたって
末日聖徒イエス・キリスト教会の事を
書いてきましたが、また折々に教会の事は、
書いて行きますが、今回から数回一般論とか
私の考え方等を書いてみようと思います。

このブログは幸福について探求する
のが目的の一つなので、今回はシンプルに
幸福について考えたいと思います。

皆さんは、日常生活の中でどんなときに
幸福を感じますか?

・好きな事をしている時
・仕事が上手くいった時
・ご飯を食べている時
・一日が終わって解放感に浸っている時
・趣味に没頭している時

等などいろいろあると思います。

上記のような事を毎日の自分の生活に
組み込んで、自分の精神の安定を図ることは
大切な事だと思いますが、

このブログで目指すところの幸福は、
人格的成長を遂げて幸福を得ると云うものです。

つまり、

自分の霊性(霊の状態)を少しずつ高めて行き
日常生活の中で精神性を高めていく事です。

    (幸福へと続く道は、どこにある?)

2013-01-02 18.51.50

話はちょっと変わりますが、私の日常的な経験を
話したいと思います。

私は現在空調部材を製造販売している会社に
勤務しているのですが、暑い夏の盛りは繁忙期で
最近は忙しい日々を過ごしています。

私の仕事は、グラスウールダクトの梱包を
主に受け持っているのですが、最近は忙しい所に
人を取られ、以前だと3人でしている梱包作業を
2人ですることがほとんどになりました。

それで朝から晩まで、その日製造した製品の梱包作業が
ほぼ終わるまで、梱包作業に追われまくる事になりました。

ですから、仕事中は、

「これをして、あれをして、あれを出荷時間までに
終わらせないと」とか

「あ~早くこれ済ませないと」とか

一日中せわしく追われる日々なので、

焦ったり、イライラしたりして焦燥感に駆られる事が
多かったのです。

一日の中で仕事が大半の時間を占めるのですから
これでは、ちょっとおもわしくないって云うか
ダメなので、改善策を考えるなければと思いました。

こう云う状況ってある程度会社勤めをしている方は、
経験があるかと思うのですが、

こう云う時に、自分の外面を変えようとする人と
自分の内面を変えようとする人に概ね分かれると思うのです。

つまり、

外面を変えようとする人とは、

上記の私の例をだと、梱包作業する人を3人にしてくれ
るように上司に働きかけると思いますし、

内面を変えようとする人とは、

どうしたら、自分が作業に追われるようになっても
イライラしないで焦燥感に駆られないか?を考えて
改善策を施すと思います。

もちろん、二つとも必要な事ですが、
私の考えだと利己的な人ほど、外面を変えようとするだけで
自分の内面を変えようとしないようです。

私の場合で云うと、上司に梱包する人を三人は必要だと
意見しましたが、忙しい所の忙しさもある程度理解出来るので
もう会社の方針に不満を持つより、自分の内面を変える方に
趣をおく方が賢明であると考えました。

具体的な私の改善策ですが、

一つは、単純なことですが、作業に追われることになっても
なるべく心を落ち着かせ、

「まあ、焦っても仕方ないので、目の前の仕事を確実に
こなして行こう」とか

「出来るだけ楽しく出来るように工夫をしよう」とか

「一つひとつこなして行けば、せいぜい午後7時くらいには終了するし」

こんな感じで、自分の心をゆったり保つように心がけました。

上記は直接的改善策ですが、間接的改善策としては、

・食生活に気をつけて、健康状態を良くすることに努めた。
・家の中を整理整頓して落ち着くように努めた。
・聖典を毎日読んで霊性を高めるように努めた。
・日曜日は教会の集会に集い聖餐を受け続けた。

聖餐と云うのは、イエス・キリストの贖いを記念して
行なわれる儀式の事です。)

等です。

こんな感じで、改善策を進めて行くうちに、功を奏してきて
今では以前と比べると、作業が追われる状況になっても
かなり落ち着いて仕事が出来るようになりました。

それだけでは、なく仕事以外の日常生活においても
今までだとイライラする事や、焦ってしまう事が
かなり減りました。

この経験を通して結局どんな時でも、そんなに焦っても仕方ないって事に
気が付いた事と自分の心の状態は自分で決めれて他に依存しないように
出来ると実感しました。

それに伴って、幸福感を感じる事が以前にも増して
増えたのです。

幸福を得られるがどうかは、他力本願ではなく
日々の自分自身の選択の結果の積み重ねの結果だと
思うので、それを日々改善していく事が、大切だと
思います。

 

(複雑多岐な現代社会の荒波にどう対処すればいいのだろう?)

2013-08-12 13.45.06

多種多様な選択肢の多い激動の現代において
正しい選択を積み重ねる事が出来て幸福感が得られるように、

イエス・キリストを生活の中心におくように
お勧めします。、

 

 

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

(新約聖書マタイによる福音書 / 11章 28節1~30節)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京神殿

先月のお盆休みに私は、
13~15日と二泊三日で
東京神殿に参入して参りました。

毎年お盆休みには、神殿に参入するのが、
15年前からの私の個人的な年中行事になっています。

末日聖徒イエス・キリスト教会では、
旧約聖書で記述されている
イスラエルの民が荒野で建てた幕屋(昔の神殿)や
ソロモン神殿と同じ意味を持つ神殿が
ある教会です。

当教会は、現在全世界に140の神殿を所持しています。
日本には、東京と福岡にあり札幌に建設を
予定されています。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会東京神殿です。

2013-08-13 15.13.30

 

神殿と云う建物は何をするところかと
云いますと・・・・・

簡潔に云えば、来世で救われるために
必要な儀式を施すところで、

来世で救われるために受けなければ
ならない儀式は、何種類かあって

その一つは、バプテスマという儀式
なのですが、

バプテスマは、末日聖徒イエス・キリスト教会に
加入するときに受ける儀式で、

もしこのブログをご覧になっている
皆さんが、末日聖徒イエス・キリスト教会に
入りたいと思ったら、専任宣教師から
必要なレッスンを受けて教会の基本的な教義や戒めを
理解して受け入れる決心がついたら。

バプテスマを受けるにふさわしいかどうか
面接を受ける事になります。

そしてその面接をパスすれば、
めでたくバプテスマを受ける事が出来
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になる事が出来ます。

しかし亡くなられた方々は、もう霊の状態で
肉体がないので、教会に加入したくても
バプテスマを受ける事が出来ないんですね。

それで、生者が死者のために身代わりとなって
バプテスマを受ける事になります。

もちろん亡くなられた方々が教会に加入したいか
したくないかは分らないのですが、

亡くなられた方が、霊界(人が亡くなれば一時的に
行くところ)で本人の意思でそのバプテスマを受け入れれば
晴れて教会員となる事が出来ます。

人が亡くなれば、キリスト教では、霊界と云うところへ
行くと云われています。
霊界では、その人が現世でどういう行いをして
どういう生涯を過ごしたかによって霊界でも
それぞれ行くところが違うと云われています。

簡単に言うと、一生涯で善行を積んだ人は、
霊界で安息(安らぎや慰め)を得ることが出来

反対に悪行を行なった人は、その犯した悪行の
ために懲らしめを受けると云われています。
来世で救われるためには、バプテスマから
はじまっていくつか必要な儀式を受ける
必要があるのですが、

私は毎年の神殿訪問で死者の身代わりで
エンダウメントと云う儀式を受ける事に
神殿で過ごす時間のほとんどを費やす事に
しています。

教会員以外の方がエンダウメントと聞いても

???????だと思いますが・・・・・

エンダウメントと云う儀式は、
教会で行われる儀式で私の知る限りでは
一番時間がかかる儀式です。

だいたい一回のエンダウメントの儀式が
1時間半から二時間くらいかかります。

それを私は一日4~5回受けるので、
今回の場合だとだいたい朝9時半くらいから神殿に入り
午後8時半くらいに4回目の儀式が終了して
神殿を後にするというスケジュールです。

8月の東京神殿儀式スケジュール

私は神殿に毎年参入して15年になりもうかれこれ
エンダウメントを二百回以上は受けていると思うのですが、
このエンダウメントと云う儀式の意味を
まだ、9割以上は理解出来ていないと思います。

神殿の中のことは、神聖さを保つために
余り口外出来ないのですが、口外出来る範囲で
お伝えしますと・・・・

エンダウメントの儀式の中では、
イエスキリストの贖いや、私たちは神の子である事
人の人生は、この世だけではなく前世、現世、来世が
あること、人生の目的、、死後の世界など
非常に深遠な真理が象徴的に示されています。

特に普段の日常生活の重荷等から解放されて
永遠の事に思いを馳せたりする時間に
安らぎと平安を感じる事が出来ます。

自分の人生のスパンを長く見ることが
出来るようになると・・・・

つまり自分の人生がこの世だけではなく
前世、現世、来世と続いているという事を
少しでも感じることが出来ると、

今現在日々の試練や苦難に対して的確な対応が
取れるようになったり、その試練や苦難に
耐える力も得ることが出来ます。
日々の生活の中で、私たちは様々な試練や苦難に
遭ったりします。
時には、とても乗り越えられないような山が
目の前にそびえ立ったりしている時があるかもしれません。

そういう時にどうすれば良いのか?

何かヘリコプターみたいなものに乗って高いところに
行きましょう。

段々高いところに行くと、これまでとても乗り越えられない
と思っていた山が段々小さく見えてきて、

「これなら何とかなりそうだ」とか

「思ったよりたいしたことないや」と

段々思えてくると思います。

そこでもっと高度を上げて宇宙に出て地球を見下ろすと
山も谷もなく、ただただ地球は青くて美しいと
思えると思います。
今の比喩で高いところへ行くとは
どういうことかと考えてみると・・・

やっぱり自分自身の精神性を高めるという事だと
思うんですね。
神殿と云う所は、自分自身の精神性を高めてくれる所であり
それによって私達が日常生活の試練や苦難に耐える力を
与えてくれるところでもあるわけです。
神殿は、末日聖徒イエス・キリスト教会の教会員しか
参入することは出来ませんが、新しく建てられた神殿で
奉献される前は、教会員以外の一般の方々にも公開されるので
今度札幌神殿が完成して一般公開される時期にお近くの方は
是非足を運んで頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教会教育システム

末日聖徒イエス・キリスト教会は、
教育に熱心な教会だと思います。

アメリカユタ州プロボ、アイダホ、ハワイに
ブリガムヤング大学を運営しているのをはじめ
いくつかの学校法人を運営している。

ブリガムヤング大学では、
卒業するために、宗教クラスの単位を16単位取得
しなければならないらしい。

宗教クラスと云うのは、
主に教会の標準聖典や、宗教的な事を学ぶクラスである。

このブリガムヤング大学の宗教コースとも言える
クラスを教会は、一般にも公開している。

それが宗教教育コースのインスティチュートである。

インスティチュート

大学の一般向きの講習会クラス等は、
特別講習と云う感じで有料のものが多いが、

この末日聖徒イエス・キリスト教会の宗教コース
インスティチュートは、非教会員でも無料である。

登録すれば、分厚いテキストも確か無料でもらえて
かなりのお得感がある。
(そういう問題ではないが・・・)

 

私が数年前に使用していたインスティチュートのテキスト

isttext

まあ非教会員にとっては、宗教的なことがあるので、
気持ち的に将来的に教会員になりたい人でないと、
なかなか受講は難しいかもしれない。

それと当然末日聖徒イエス・キリスト教会の教義を
学ぶことになるので、一般のカトリックやプロテスタントの
方を学びたい方は、ちょっと方向違いになると思う。

一般の方が受講する事によってのメリットの一つは、
将来的にブリガムヤング大学の入学を
考えられている方は、このインスティチュート受講登録の時に
トランスファークレジット(要するに取得した単位を移行できる)
で登録をすれば、将来ブリガムヤング大学に入学したときに
単位を移行出来るので、受講しておいた方が有利になる。

ちなみに私もこのインスティチュートに十数年通い
まあ一般登録なので、出席と終了試験をサボらずに受ければ
誰でも単位を取れるのですが、一応24単位を取得して
講座卒業という事になっています。

末日聖徒の教義は、聖典で学んだ事を、
日々の生活に応用実践して始めて理解出来ることが、
多いので、そういう意味では、週一回ないし二回
インスティチュートに通い、日々の生活で学んだ事を実践
しながら続けると、受講コースが終了する頃には、
進歩成長している自分自身を感じる事が出来るかもしれません。

 

後、末日聖徒イエス・キリスト教会が行なっている
教育制度で、「永代教育基金制度」と云うのがあります。
これは、日本では適用外らしいのですが、

どういう制度かと云うと、余り経済的な状態が
おもわしくない国で、貧困で充分な教育が受けれない人が、
受けれるように教会が教育資金を貸し付ける制度です。

発展途上国等で、貧困な家庭で育った人は、
本人に能力があっても充分な教育を受けれないために
収入の低い仕事にしか就けない事がほとんどらしいのです。

ですから貧困の家庭に生まれるとなかなか貧困から
脱出する事が難しいらしいです。

そういう貧困の連鎖を断つために
やる気と能力のある人には、教会から
教育資金の貸付を行なっています。

充分な教育を受けて高い収入を見込める仕事に就いてから
借りた教育資金を返済するのです。

そしてその返済された基金はまたそれが必要な人が
貸付を受けて教育資金にするという事です。

まあ日本では昔からある奨学金制度ですね。
日本では、まあバイトとかで頑張れば大学の学費とかは
何とかなる範囲ですが、

発展途上国などの貧困層は、その辺がどうにもならない
みたいで、そういう方が貧困の連鎖を断つために作られた
制度なので、当事者にとっては大変ありがたい制度だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無料英会話教室

今回は教会が行なっている活動の一つである
英会話教室について話そうと思います。

前回ご紹介した、枚方ワードこれからの
行事予定の中にも掲載されていましたが、
教会では、週一回無料英会話教室が行なわれています。

末日聖徒イエス・キリスト教会の
無料英会話教室を探す

これは、教会の布教活動に来ている外国人宣教師が、
ボランティアで教師を勤めている英会話教室なので
無料という事ですね。

まあはっきり云って今年の3月までは、
教会の紹介をするためと云うのが目的の大半だったと
思うのですが、今年の4月の新年度からは、
英会話教室は奉仕目的とし英会話教室の時間の中では、
一斉教会の紹介は行なわないと云う方針となりました。

何でそうなったかは、一教会員の私には、
分らないですが、まあ英会話は学びたいけど
教会の勧誘をされるのは、ちょっとと云う方には
朗報だと思います。

 

こういう英語の催しも行なっています

eikaiwa

 

英会話教室の内容も以前だったら、どんな内容にするかは
教師の宣教師に任されていて、その宣教師の教え方の上手下手によって
クラスの人数が増減するという感じだったのですが、

今年の新年度から新体制になって、全国共通のカリキュラムを
作成してそれ沿ってクラスが進められているという事です。

私も以前1年位通った事があるのですが、
活発な明るいタイプの宣教師の時は、クラスが充実していて、
結構雰囲気が良く英語を余り話せない人でもその雰囲気を
楽しむために来られていたりしてまあそれなりに楽しかったです。

教会の宣教師と云うのは、平均2~3ヶ月で転勤があるので
そのつど英会話教室の教師も代わるという事になります。

宣教師が転勤になり新しい教師になると今度はどんな宣教師なのか、
非教会員で長年この英会話教室に通われている人は、
結構それも楽しみだったりして、英語を話す外国人でも
いろんなところから来ているので、話す英語の発音なんかも
微妙に違っていてその辺の違いが分るのも面白いみたいです。

枚方ワードでは、枚方市内に関西外国語大学があるせいか、
外大の教授や生徒、留学生が数名在籍しています。
結構留学経験のある人や、外国に滞在していた人とかも
いて英語を話せる人が結構います。

そういう人に英語が話せるようになるには、
どうしたら良いのか、何名かの人に聞いた事があります。

だいたい返って来る答えは、
何タラ英会話学習法とかではなく、
英語圏の外国人と友達になって日常会話をする
と云うのが、多かったように記憶しています。

まあそうですね、学問に王道なしといいますが、
外国語を習得するには、その外国の人と話すのが
一番の近道ということのようです。

日本人は英語習得に関しては、一昔前の学校教育で
文法重視ってところがあったみたいですが、
最近では、かなり会話に趣が置かれるようになった
ように思います。

やっぱり英語が出来ると、外国人の友達も出来るかも
知れないし、英語の書籍やインターネットの情報なども
読む事ができますし、異人文化に触れる事で、
自分の視野が広くなってものの見方や価値観なども
広がったりするかも知れません。

英語を通して外国の事を知ることにより
日本の良いことが改めて分る事もあると思いますし、
またその逆もあると思います。

視野が広がる事によって、自分自身の知識が増し
選択肢が増えると、良から最良へとシフトして行く事も
出来ると思うので、自分の可能性も大きくなると思います。

結局英語に限らず人の人生って一生何かに向上心を
持って勉強していくものだと思います。

まあそれが、

この世に生を受けた人の宿命だと思います。

幸福の本質を探求する 末日聖徒イエスキリスト教会会員のブログ TOP